
今日は部長の話じゃない。
一人の契約社員の話だ。
最初は、ごく普通の質問だった。
「雇用契約書のこの部分が理解できないので、教えていただけますか」
人事を預かる身として、それは正当な問いかけだ。俺も最初は丁寧に、一つひとつ向き合った。規程の趣旨を説明し、背景を伝え、疑問に答えた。
だが、それが一度では終わらなかった。
二度、三度。気づけば、面談のたびに長時間になっていた。準備していた別の仕事は後回しになり、俺の時間は静かに、しかし確実に削られていった。
そしてある時期から、質問の性質が変わり始めた。
「教えてください」から「変えてください」へ
「この時給は、他の仕事と比較した場合に低すぎると思います」
「自分なりにシフトの組み方を考えてきたので、そのように取り扱っていただけませんか」
「この規定は、判例によると違法性があるのではないでしょうか」
一つひとつの言葉を聞くたびに、俺の中で何かがずれていく感覚があった。
疑問を持つことは、何も悪くない。働く環境への関心も、権利意識も、それ自体は否定しない。だが、会社に対して条件を「提案」し、規定の「違法性」を指摘し、独自のシフト案を「取り扱ってほしい」と求めるのは、もはや質問の域を超えている。
それは、交渉だ。あるいは、要求だ。
同意して入ってきたのは、誰だったか
人事の立場から言わせてもらえば、話はシンプルだ。
会社側が労働条件を提示し、あなたはそれに同意して署名した。その事実がある。
時給が低いと感じるなら、入社前に判断するか、正規の手続きで異議を申し立てるべきだ。シフトの組み方は、組織全体の都合と個人の都合を調整した上で決まるものだ。一人の契約社員が「自分案」を持ち込んで通るほど、物事は単純ではない。
変えるべきところは変える。俺はそう思っている。だがそれを決めるのは、組織の中で然るべき手続きを踏んだ議論の末に出てくるものであって、あなたが個人として俺の執務室に持ち込んで決めることではない。
正直なところ、「その手の活動家」という言葉が頭をよぎってしまうのは、俺の偏見だろうか。
では、今後どうするか
自問自答してみる。
まず、対応時間に上限を設けることだ。質問への対応は一回につき15〜20分。それ以上に及ぶ場合は、次回に持ち越す。際限のない対話は、互いにとって生産的ではない。
次に、回答の記録を残すことだ。「説明した」「対応した」という事実を文書化しておく。口頭だけでは、後から「聞いていない」「そうは言っていない」になりかねない。
そして最後に、一線を引くことだ。労働条件の改定や規定の解釈に関する「個人的な要求」には、「それは個人面談の場で決まることではありません」と明確に返す。温かく、しかし揺るがずに。
嫌な奴だと思われても構わない。
それが俺の、人事としての仕事だ。
深夜のオフィスで、冷めたコーヒーを一口飲んで、今日もそう言い聞かせた。